詩を朗読したり 歌うのために 覚えるには、描かれている意味を理解し 情景をイメージしたほうがよい
先日、詩人 R.F の ところに久しぶりに 行ってきた。 詩人 R.F は、昔から 北海道大学 が 大好きで、自らも その 北大 がある 北区に住んでいる。
そういえば、僕が 今、読んでいる本が、北大を舞台にした本で、その話をしたら 会話が盛り上がって楽しめた。
その本の中で、主人公が、北大の寮歌 を 覚えなければならなくなる 箇所があって、とても 苦労するところがあるのだが
北大の 寮歌っていうのは、いっぱいあって、分厚い詩集になってしまう程らしいんだけど、例えば、有名な曲として 『都ぞ弥生 』っていう 歌がある。
これも また、はじめて歌う人には なかなか 覚えられないみたいで・・ これを ちゃんと 歌うには、歌の詩の 意味を よく理解して、その情景を 頭の中で、映像にするなりして イメージして歌うのが 一番 良い とされているらしい。
もちろん、どんな歌だって どんな詩だって そうなんだろうけど・・・
北大の 明治とか 大正に 描かれた 寮歌の詩って 難しい言葉や 当て字が いっぱいあって 解釈の難解な 箇所が いっぱい あるんだけど、
確かに 言われてみれば、意味が解らないと、詩を覚えるのも大変だろうし、感じを 込めて歌うのも ちょっと、無理なんじゃないかな・・? という気にはなる。
例えば、先ほど、話題に出した「都ぞ弥生」の詩の中でも、僕も この本を読んで、はじめて 知ったのだが・・・ この歌の タイトル や 一番の歌詞に出てくる 「都ぞ弥生」 の 「都」 というのは、札幌ではなく、東京のことらしいのだ。
弥生は陰暦の 3月・・今の 4月 なんだけど、この当時の 日本の高校は 9月に 入学する制度になっていたらしくって・・ この歌の一番は・・
都ぞ弥生の雲紫に
花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)
尽きせぬ奢(おごり)に濃き紅や
その春暮れては移らふ色の
夢こそ一時(ひととき)青き繁みに
燃えなん我が胸想ひを載せて
星影冴(さや)かに光れる北を
人の世の 清き国ぞとあこがれぬ
という 歌詞なんだが・・ つまり、 東京 で、花見の宴 に参加しながらも 大都会の 享楽(きょうらく) と 奢侈(しゃし) に うんざりし、夕暮れの 北の空に 瞬く星を見て・・
北国は こんな都会と違い 人の世の清き国ぞ!・・と・・憧れて (作者に 何があった?(笑))
北大予科 にでも入学してみようかな・・と この人は決心をした・・っていう そういうような意味らしいのだが・・(笑)
たぶんね、この人は、ぬくぬくした都会の暮らしより、もっと、困難で燃えるような 青春が欲しかったんだと思うけど・・(笑)
結構、難しいよね・・(笑) だから、この 一番の歌詞っていうのは、序章っていうか・・ ブロローグになっている部分で、 二番からが、本格的な 入学後の札幌の 四季の歌 になっているそうなのだ。
「都ぞ弥生」の草稿
だから、今日は、そういった 詩っていうのは、ちゃんと、意味を理解して・・ 情景だとか、その場に立つ人の 気持ちだとかを ちゃんと解らないと 朗読したり 歌を覚えて 感情を込めて歌ったりするのは 難しいという・・・
そういう話なんだが。
僕が 今、読んでいる 北大の本というのは、北大の 元 男子柔道部員 が書いた本で、この本は もう 男臭さが むんむん している本なので・・・(笑)
今日は、女の子の 美しい歌声で聴いていただきたいと思います。 ボーカロイド の 『初音ミク』
ミク はね、札幌で 生まれた プログラム。 この プログラム を作った伊藤 博之(いとう ひろゆき) さんは 札幌の出身、北海学園大卒 だが、北海道大学で職員として 仕事していた時期がある。
伊藤さんは、いわば、『初音ミク』の お父さん に 当たる人だから、この動画の中で、ミクは お父さん が務めていた大学の 寮歌を 歌っていることになる。
この歌はね、売るために歌われてるワケではないので、つい最近、CD が発売されたり、YouTube が、普及するまで 北海道に来ないと 聴けない歌だったんだよ。
歌に出てくる 手稲山 なんかは、僕の家からは 目の前に見える山で、山並み とかは、この歌が 作られた 明治45年とかから ほとんど 変わっていない と思うので・・
同じ景色を見てるのかな〜? なんていう・・・ なんとも言えない 親しみを感じてしまうんだけど・・
う〜ん・・ ところで、この歌は、寮歌としては 珍しく、結構 長く 引き伸ばして歌う歌になっていて・・ それには、どうも 悲しい理由があるらしい。
戦時中、北大生にも ついに 赤紙 が来てしまって、戦争に行かなければならなくなってしまって・・
戦争に行くものが出ると 駅まで この歌を歌いながら 学友たちが 一緒に 送って行ったんだけど・・・
誰もが みんな、駅に 早く着きたくなくて・・
それで、この歌が、ゆっくりに・・ ゆっくりに・・ こんにち 歌われているように 引き伸ばされて 歌われるようになっていった・・・ っていう ・・・・・
そんな いきさつが あるんだそうです・・・・
そうした 戦争の傷跡 を 残しながらも、平和な現在まで 歌い継がれているんだね。
以上 詩の歌い方についての お話しでした。