日本ダービーで盛り上がっているようだが・・・ ゴールドシップという馬と ワールドエースという速い 2頭 の馬が、競い合っているようだ。 皐月賞以来の決闘になるというのだ。
自分は、ギャンブルを何一つしないので、馬の事はよく解らない。 でも、そんな自分でも ある 一頭の競走馬の話はよく知っている。
その馬の名前は、テンポイント
テンポイントの話は、まず、テンポイントの お婆ちゃん馬の クモワカ の話からしなければならない。
テンポイントの お婆ちゃん馬は、若い頃、素晴らしい馬だったが、昭和27年の冬、京都競馬場で、伝貧(デンピン)と呼ばれる病気がはやり この病気にクモワカも 感染したという診断を受ける。
この病気は、伝染病ではないのだが、当時は、解らなかったから 京都府から 「お婆ちゃん を殺せ!」 という処分命令が降った。
馬主は、この処分に納得がいかず、 「この病気が伝染病ではないんじゃないのか? 証拠あるか?」 と抗議したのだが、ダメで、 もし 殺さないなら 他の馬たちから完全に隔離して育てるように・・という事になってしまう。 (何でもないのに・・・)
クモワカは、 人間が 勝手に伝染病と思っている病気にかかってしまったために レースにも出られず、 結婚してはいけないし 子供も産んではダメ という事になってしまった。
・・・ただ、結局、そうなると、お金の稼げない馬・・・ という事になってしまって、役に立たない1頭の馬を飼育するのに お金が莫大にかかるし 手間なんかが大変で、 処分せざるをえなくなってくるんだが・・・・
でも、クモワカは、世話してもらっている 「かずちゃん」と呼ばれる厩務員に、深夜、連れ出され、北へ北へと、 見つからないように運ばれて いろんな暖かい人たちに援けられながら 津軽海峡を渡って ふるさとの北海道へと逃げていたのである。 その時は、隠れながらの とんでもない 苦難の旅だったようだ・・・
そして こんな素晴らしい馬を 何でもないのに殺したり 永久に結婚できない身にするなんて 馬鹿げている。 と 北海道で秘密で飼われて ・・・ その後、裁判にもなったが、世間の後押しもあり やっとの思いで 伝染病でないことを証明し、血統書を取り戻した。
クモワカは、もう 結局、レースには出られない歳になっていたが、その後、娘を出産。
正真正銘・・・ 血統書付き・・・ もう何処にでも 堂々と出られる。 この馬が、テンポイントのお母さん、ワカクモ となる。
お母さん馬は、お婆ちゃん馬の 夢の分まで 思いっきり走り、 昭和41年、お婆ちゃんが果たせなかった「桜花賞」を制する。
サラブレッドとは、まさに「血」で宿命づけられた生き物! 血統が全てという 競走馬!
そのワカクモが産んだ子が いよいよ 「テンポイント」 (男の子) だ。
テンポイントというのは、文字の大きさ・・ 10ポイント の意味だ。 ワープロソフトなんかでも 文字の大きさを 10 にすると、凄く小さいけれど、 その小さい字が 10ポイントだ。
そんな、小さな文字でもいいから 隅っこの方でも 新聞に名前が載って レースに出場してほしいという 願いが込められていた。
そんなテンポイントは、1975年8月17日、函館でデビューした。 2位の馬を10馬身 置き去りにする芝1000m58秒8のレコードだったという。
3ヵ月後のもみじ賞(京都・芝1400)でも9馬身差の独走を魅せた。 「スゲぇ〜 この馬!!」 人々は驚いた。
阪神3歳Sというレースでも 2位以下に 7馬身差のダントツのトップ!
・・・・・・・ ところが、この頃、関東には 速い馬が沢山いた! さすが、関東!
さすが、日本で一番優れたものが集まるエリア・・・・ テンポイントは、北海道で育ち関西から出てきた 地方出身者なのだが
関東には、この同じ時期、 トーショーボーイ という 超弩級 に 速い馬がいた。
テンポイントが5連勝でスプリグSを制し、1976年4月25日、ついに皐月賞を賭けたレースに出場するとき、 このトーショーボーイと初めて対戦することとなった。
ところで・・・ このレースが、始まる前
競走馬は、コースに出て行く前に 競馬場のパドックという、 人間で言えば 控え室・・ ではないけど、 そういうところに一度行き、その日のコンディションを見せたりする。
この時は、まだ、旗手が乗っていないのだけれど、
おもしろい話なのだが、 人間は、競馬の予想をするのに みんな四苦八苦するけれど、 馬同士? というのは、どうも お互いの速さっていうのが、だいたい見れば解るようで・・・・
沢山いる馬の中で、トーショーボーイが、テンポイントしか 目をやらない。 テンポイントもまた、初めて会ったのに トーショーボーイしか見ないらしいのだ。
それは、両者、 生涯、 そうだったようで、 お互いが お互いを ずっと、意識して ずっと、目で見続けていたというのだ。 他の馬は 一切見ない!
さて、その 気になるレースの結果だが、レースの展開も トーショーボーイもテンポイントも ずっと、お互いしか意識しない状況で 走っていて・・・ そして最後は・・・
やはり 関東は凄い! テンポイントは、物凄い走りをして食らい付いたのだけど、トーショーボーイに5馬身も差を付けられて負けてしまう。
そして、この年、 その後も 怪我などもあり テンポイントは成績が振るわず 無冠で 3歳を終える事となった。
どうしても トーショーボーイに対し よい成績をなかなか出せない テンポイントだったが、 やはり、 いつも トーショーボーイは、常にテンポイントだけを 見て・・・・ 意識して走っていた。 というのだ。
しかし、 そんな 圧倒的に強いトーショーボーイも ついに 栄光を手にし続け 最高の時期、 絶頂の状態で 引退する事に決まった。
もう 泣いても 笑っても トーショーボーイ と テンポイントは、競い合うことは、今後、永久に無くなる訳だが・・・
優れた馬というのも不思議なもので 言葉がわからなくても 雰囲気とかで そういうのが 察知できるのか?
その最後の決戦の日も トーショーボーイは、テンポイトだけを テンポイントは、トーショーボーイだけを ジロジロと意識してみながら レースに突入した
スタートしてからも お互いしか 睨んでいない!
1977年 有馬記念、 トーショーボーイ と テンポイント 最後の決戦!
ゼッケン1番が 王者 トーショーボーイ。 ゼッケン3番、ピンク色の旗手が駆る テンポイント。
テンポイントを応援して テンポイントに賭けたお客さんが多かった。 もう泣いても 笑っても これで最後だ!
頑張れ! テンポイント! お婆ちゃんの分まで名を轟かせ!!!!
テンポイントは、その後の 闘病生活でも 馬に興味の無い人達、 女性や子供たちまでにも 多くの人達に応援してもらって その生涯をとじた。
この話は、競馬の夢と怖さを 同時に物語った ドラマ性のある 三代の馬のエピソードとして 今も語り継がれている。