今日は、世界中のガーデナー達の憧れ ターシャ・テューダー の事を勉強しよう。
この人の描く絵本が好き という人も多いかもしれない。 彼女の描く絵は「アメリカ人の心を表現する」絵と言われている。
思うに この方の作品は、ガーデニング とか、フラワーアート というジャンルのものではなく、ライフスタイルそのもの が、すべて 独特の作品なのだろう。
アメリカ入植時代 をテーマとしている事は、まず、間違いがない。
なぜ、今、ここで、当ブログで、ターシャ の事を取り上げるのか? というと、 私達の住む日本も今、国内の農業の曲がり角に来ている と言われ 今後、国全体の農業自体の存続 というものが、どうなるか 不透明になってきているのだが・・・
ここで問題は、確かに農業とは作物を生産するためのもの・・・なのだけれど つまり、農業そのものが、私達に与える 精神的な効果 「和み」 とか 「癒し」 といった、人間に絶対必要な ストレスの緩和 と言う面からも 考えてみたいのである。
日本から もし・・・ 農村が消滅したら・・・・・・・?
作物は、輸入できても 日本人 全体の精神状態は、今までと同じだろうか?
「人はパンのみに生きるにあらず」 食べ物さえあれば 車がガソリンを補給するように生きていけるか?
もし、あなたが、毎日、美味しい食べ物を 永久に出してもらえるようになったとして・・・・ その代わり 窓の無い 薄暗い コンクリートの空間で 誰一人とも 話す事も無く 外の景色も残り人生、全く見ず テレビも PCも 携帯もなく 残りの生涯を 死ぬまで過ごすとしたら・・・
そりゃ 美味しい食事だけは 何でも出るから 人間として正しく生きていけるだろう・・・(笑)
そこまで言えば解ると思うが、作物を作って売るだけが 日本の農業の仕事ではないのだ。
日本から田舎が 全く無くなる という事は、実は、都会の人たちにとっても とんでもない事なのかもしれない!
そして、ある程度の自給自足 の大切さ・・・ そんな事を今日は、なんとなく 考えて行こう。
まず、彼女がどんな 庭を造り どんな絵を描き どんな 生活雑貨を使っているかだが このブログの管理人 retriever は、ちょっと、忙しいので 手を抜かせていただいて、google の画像をリンクするので、そちらを ちょっと見ていただきたい。
ターシャ・テューダー google画像検索 ← クリック
見ていただいた方のなかには、「ああ、この おばあさんの事か!!」 だとか、「人は、解らないけど こんな庭、見た事がある。」 という人も多いだろう。
次に 彼女のライフスタイルについて・・ だが、 今日は、ごめんなさい 『ウィキペディア(Wikipedia)』 から、そのまま、抜粋させてもらうので、それを読んでいただきたい。(笑)
以下
『ウィキペディア(Wikipedia)』. ターシャ・テューダー(Tasha Tudor、1915年8月28日 - 2008年6月18日) より引用
「 家と庭の一帯を「コーギー・コテージ」と呼び、電気や水道等、近代設備は最小限に留め暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがあるような質素な室内と古い道具を使う昔ながらの生活を実践した。
一日の大半を草花の手入れに費やし、小花模様のドレスやエプロンを手作りし山羊の乳を搾り、庭でとれた果実で、ジャムやジェリー(透明なジャム)を作りパイを焼いたりした。
16歳の時にパン作りのコンクールで優勝したこともあるほど料理は得意で、料理の秘訣は「近道を探さないこと」がモットー。
挿絵入りの料理本(『ターシャ・テューダーのクックブック』)を出版したこともあった。コーギー犬の「メギー」が良きパートナーで、他にもハトやニワトリなどの小動物と共に暮らしていた。16時半、庭先のポーチでお茶を飲むのが日課。
日記代わりに周りの草花や動物達をスケッチした。
毎日のように歩いて10分ほどのところに住んでいる長男のセスが訪ねてきて水遣りや買い物や力仕事など甲斐甲斐しく母を助け、高齢の母親の暮らしを見守っていた。
2008年6月18日に自宅で家族、友人に囲まれ脳卒中の合併症により逝去。92歳没。 」
という事です。
彼女の おいたち を簡潔に・・・ ここが、一番重要な話なのだけれど、彼女は、もう、名門中の名門・・・ お父さんは、ヨットや飛行機の設計の業界ではアメリカを代表する有名な技師で実業家だし、 肖像画家のお母さんも ボストンの政財界を支配する約40家の中の一つの家の出で であった。
3歳の時に 両親が交流を持っていたベル家の庭に咲いていた中国原産のバラの花ロサ・ユゴニス(Rosa hugonis)を見て花の魅力に目覚め、将来自分もこんな花を咲かせる人になろうと心に決めたと言われている。
ところが、どういう訳か社交界での交流が苦手で、 農場のほうが好きで、小さな頃から お嬢様なのに牛をほしがるような子だった・・・ という。(笑)
そして、15歳のときには、 もう学校を辞め 絵画と農業の道を目指し 絵本を描き、自給自足の精神 への魅力に取りつかれていった。
そうして、結婚、子育てを経験し 多忙な中でも 子供と楽しむ生活を送り この経験が、彼女の描く 絵本の中にも 美しい景色の中 いきいきと 暖かく 描かれていくようになるのである。
以下、経歴については、他でも調べられると思うので、今日は、動画で 彼女のライフスタイルのイメージを掴んでいただきたい。