40年前の今日、三島由紀夫が切腹した。 享年45歳。
今日は、三島由紀夫と太宰治のはなしをしよう。
亡くなった時には、誰もそうは思わなかったのだが・・・・・ 没後、40年の今年、三島由紀夫が死の直前、日本の将来に関して、懸念していたことが、本当にリアルに現実化している。 これは、すごい事だ。
ところで、その三島由紀夫にとって、太宰治という存在は、彼が他界した後に 徐々に巨大化していった存在だったのかもしれない。
太宰治の 『人間失格』 と、三島由紀夫の 『仮面の告白』 ・・・ うーん 本当に・・ 本当に・・・
みなさんは、アーティストに対して どういう印象を持っているだろうか? カッコいいと 思うだろうか?
お洒落だと思うだろうか? 実は芸術(アート) というモノは、とても残酷で、痛々しい存在なのだ。
アートというものは、その すべてが、自己表現といえる。 例えば、それは、大衆の面前で、裸で立ってジロジロ見られているようなモノなのだ。
それは、こころが ズタズタなほどに痛いことなのだけれど、 それが、若い人達には 残酷なまでにストイックでカッコいいのである。
まぁ GAKT君みたいに 鏡張りの部屋で 裸の自分の美しさにウットリしているような・・・ そういうモノだ。
とくに 太宰治の作品は、周知のとおりである。 残酷なまでの 残酷なまでの 自虐的自己表現 昭和22年 1月、大学生だった三島は、太宰と対面する。 そして、こうきりだした。 「僕は太宰さんの文学が嫌いなんです。」
これに対して太宰は、なんと応えたか? 実は、まったく異なる ふたつの記録が、現代に残されている。
× 三島由紀夫 解説 ・・・・ これに対し太宰は、嘘をつかれたような表情をして誰へ言うともなく「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と答えた。
○ 野原一夫 証言 ・・・・ 「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨てるように言って顔をそむけた。
さて、みなさん 真実は・・・ 太宰は、その時、どちらのリアクションをしたのか? retrieverは、野原証言の方が正確だと思うのだが。 (ある意味・・ どっちも正確なのかな?)
この当時は、三島は太宰を 本心で嫌っていた。
太宰の死後刊行された 昭和30年刊の『小説家の休暇』には、三島は、太宰の文学に対し 一種猛烈な嫌悪感を持っているとなっている。
そのうえで、 太宰の 1、 顔が嫌い 2、 田舎者のハイカラ趣味が嫌い 3、 「この人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。」 と付け加えるのだ。
・・・ それで、だんだんと核心に迫り (すげー!) 「太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。」 という風に 太宰の自己表現を徹底的に攻撃するのだ。
ところが、晩年(昭和45年)になると三島は、考え方が変ってくる。 いや 変ってくる というより 太宰作品を否定しよう 否定しようとすれば する程、結局、同じようにそれは、自己表現を演出している自分・・・ が、そこにいる という ジレンマに陥り 結局は、受け入れざるを得ないようになってしまうのだ。 (意味わかる?)
大学のティーチ・インでは、「私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど,おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。だからこそ反発するし,だからこそ逆の方に行くのでしょうね。おそらくそうかもしれません。」 と語ったといわれる。
どう思う? 凄いと思わないか? そして、この事こそ 本当に 本人にとって痛々しい 自己表現なのではないだろうか?
この ふたりの
死に様 いや
生き様って、 一体、何なんだ? まるで、それ自体が、ひとつの作品じゃないのか?
海外での人気は、極端に三島の方が上
しかし、ノーベル文学賞の候補にまであがった 世界一、美しい描写をする三島が、
(それはもう 描写という以外ない)
最期まで意識しとおした男 みなさん それは、一体、世界文学史上で誰だったのだろうか?
そして、太宰の価値を感じられる読者は、世界で最も繊細な国 感受性の最高に発達した私達
世界に名高い三島由紀夫 世界の理解の及ばない(程の)太宰治 みなさんは彼らと同種のDNAを持っているんだよ
どうりでこころに痛みを感る訳だ。 辛いかも? 苦しいかも? でも それは、世界に誇れること