緑道

札幌の花屋さんのブログ いろんな事 書いてます。

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2017.08.09 Wednesday

うちの 父は 明治大学 で 講道館柔道 の 初段を取り、 高校時代は 相撲部キャプテンで 全道 2位になった

 うちの父は、中学の頃から、実家の 伊藤漁業部 で、漁船の燃料が詰まった とんでもない重量の ドラム缶 を 転がして 船に積む作業を 手伝っていたそうだ。

 その重労働の おかげで 父の 腕力は 桁外れに 強くなっていった。

ドラム缶転がしで 鍛えられた父は、高校時代 小樽で 相撲部の キャプテンをしていて、向こうところ 敵無し だったんだけど、全道大会 の決勝戦で 一度だけ 負けたことがあったらしい。

 その日は、雨で 最後に 相手を 投げたんだけど、まわし が 雨で滑って お互い 崩れて 土俵外に ほぼ同時に 手をつくことになったのだという。

 でも、軍配は 相手に上がって、すぐに もの言い が付いたんだけど、協議の結果 軍配通り、相手の勝ち! ということになったのだ そうだ。

 父は 大酒飲み で、お酒を飲むと しょっちゅう その話をする。

 小さいころから 耳にタコが出来るほど 聞かされたものだ。(笑)

 「あれは、同時だった!」 って・・ ずぅ〜〜っと 言ってた。(笑)

 父の死後、未だに 冠婚葬祭で 親戚の集まりがあると、知らない人達から 「おっ! 俊彦さんの 息子さんか?  俊彦さんといったら 相撲だっ!」 って 言われる騒ぎだから・・   当時、よっぽど 知られていたんだな・・・と思う。

  相撲部だった頃の 父  全体写真では 賞状を持っているのは二人だけ・・ うち 一人が父

  父の名前が 書かれているようだが・・・ 何の賞状だろう?   

                 相撲部だった頃の父              

 そんな父が、明治大学に入学して 東京に行って 今度は、柔道をやることになった。

 父には 仲がいい ミノルおじさん という従兄弟がいた。

 その 人の 娘さんが、今は 葛飾に住んでいて、亡くなった うちの父に 線香を手向けに 去年、来てくださって、その時に 聞いて 解ったんだけど

 この ミノルおじさん っていう人が 滅法 武道が 強かったらしくて、(この人も ドラム缶で 強くなった (笑)) 高校時代に 相撲も 柔道も 両方、全国大会で優勝した! らしくって

 それで、大学に推薦されたんだが・・  家族のために働かなくてはならず、残念ながら 進学できなかったのだそうだ・・

 父は、明大の柔道部 って言ってたんだけど

  ミノルおじさん に 柔道の投げ技を 教わって 昇段審査で 三段候補 を投げて それで 初段を・・ 黒帯を取った と言っていたんだが・・

 ミノルおじさん は、明治大学に 行ってないと思うから どうなってたのか? そこのところが解らない・・・   働いていて 東京にいたのかな?

  とにかく、父の昇段試験の時は 大変な日だったらしく

 戦後、アメリかの進駐軍 GHQ が、しばらくの間、日本人が武道を やることを 禁止していて、それで、日本の武道は、人を傷つけるものではないから 武道を 恐れなくてもいい のだよ! という事を 証明して アメリカ側 に 認めてもらうために・・

 日本の武道家、国井(國井) 善弥(くにい ぜんや)が、銃剣術の名手だった 米国 教官と戦わされ、あっという間に無傷で 取り押さえて見せたことにより急に 日本人は武道の練習を 再開 出来るようになった ちょうど その時で

 そんな日に 黒帯を 取ったらしいのだ!

 日本の武道というのは、過去に二回、絶滅の危機に瀕してきた・・  一度目は、明治維新 の 廃刀令(はいとうれい) が出た時。   そうして、二度目が この終戦直後で、アメリカが 自分たちに逆らわないよう、日本人の武道を禁じ、武道を絶滅させようとした時 だ。

  だから、日本の 近代武道史上でも 一番、混乱して ドタバタ している時に 昇段審査に行って 腕っぷしで 相手を投げて 初段を 取ってきたことになる。

それで・・そんな父なものだから・・  昔から 僕に 柔道を習わせたがっていた。

 僕が、高校に入って、ブルース・リー や ジャッキー・チェーン そして 梶原一騎 の 「空手バカ一代」 に憧れて 友人 霞光 と 空手を 習い始めた時も、嫌がって・・ 母に 「おい! 空手だってよ!」 と愚痴を漏らし、

 その後、一度目、二度目 の 少林寺拳法 を 習いに行った時も・・  「柔道って言うのは強い!  寝技があるからよ!」 って、僕に 何かを 伝えたそうにしていた。

 そうして、父は 脳梗塞で 倒れ、その後、右半身が麻痺し・・  僕が、入院する前に 家で養生していたんだけど 三度目の 少林寺を 習いに行く前に、父と母に 「オレ、少林寺 また、やろうと 思うんだけど・・」  って、何気ない気持ちで言ったら・・

 そんな時期にまでなって、父は僕に 「柔道は・・・・?」 って聞いて来るのであった・・・

  だから 僕にとって 父は、相撲よりも むしろ 柔道を やっていた! っていうイメージの方が とても強いのだ。

 今でも 講道館の タタミ や 柔道を やっている人を 見ると そこに ウチ の父が 佇んでいる 感じに捉われる・・・

  昨日、母が、誰も居ない 家の中 仏壇が有る 部屋で 白い浴衣のようなものを着た 父の姿を見たという。

 すぐに 父だと解って 「あら! お父さん お盆だから 帰って来たのかい!!」  と、声をかけたのだ・・という。

  今日は 雨が 降っていた・・

 お父さん、 講道館の畳 は、青かったかい?  今も 青く 澄んでて 美しいよ 

        

  柔道を 学ぶものは 試合に勝っても 喜んだり 歯をむき出しにして 笑ったり しては いけない!

   相手の気持ちを 汲んで、勝利を謙虚に受け止め   自分の気持ちを 更に 戒めて行かなければ ならない のだそうだ。

  なぜなら 自分自身が 自分にとって 最大の 強敵なのだから・・

 


2017.12.14 Thursday

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