緑道

札幌の花屋さんのブログ いろんな事 書いてます。

<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>

<< 最も簡単で 心地よい 熱中症対策!!  摂氏5℃〜10℃のドリンクを 早めに飲む | TOP | ゴミの始末を きちんとする日本人を 誇りに思います >>

2013.07.16 Tuesday

海での心霊現象・・ 橋北中学校水難事件

JUGEMテーマ:地域/ローカル
 
 これは、結構、有名な話で、 この種の話に詳しい人達にとっては、誰もが認識している事件のひとつであるという。

 よく、古くから 海辺の地域に暮らす人たちは、「お盆を過ぎたら 海に入ってはいけない。  足を引っ張られるから・・・」 などと言い、 実際に そういう体験をした・・・   なんていう人も 大抵、地元には 2〜3人 いるものだ。

今日の話は、お盆よりも前の 7月28日に起きた出来事なんだけど・・・   みなさん もうすぐ、その時期じゃ のう・・・

 お亡くなりになった方たちの ご冥福を祈りつつ・・・ そういった、事件を 胸に刻み どうか気を付けて、海で安全に 楽しんでいただきたい。

 では、橋北中学校水難事件の話をしたいと思う。

この事件は、1955年(昭和30年) 7月28日に三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事件だ。

この日、女子生徒達が海に入ってから2〜3分後、100名前後の者が(生徒のほかに女性教諭も ) 水泳場東北隅附近で一斉に身体の自由を失い、溺れるに至ったらしい。

 大きな うねりが、1回 ないし 2回ほど、来ただけらしいのだが・・ 普段は、わずか 1m 前後ほどの水深のところが、急に 1m40cm もしくは、背丈よりも深い水深になり かなりの力で 流されて自由が利かなくなってしまったらしい。 

 しかも不思議な事に これは、幅、たったの50m内の 狭い女子水泳場エリア内だけでのことで、そこから わずか10m しか離れていない 男子水泳場エリアではそれを意識しなかった男子生徒が ほとんどだった・・・という事だ。

 もちろん その後、刑事裁判、民事裁判になり 事故について、相当、詳しく調査され、当時は メディアにも 大きく報じられたのだけど、原因については 今でも ハッキリしない部分がある。

 しかし、その中で 有力な原因として 次のような説があげられてはいる。
 
沿岸流(ロングショアカレント)説・・・台風によるうねりがロングショアカレント(うねりが砕けてそのエネルギーが渚近くで起す流れ)となり、これが「異常流」の発生原因であるとするもの

副振動説・・・アビキ(副振動:マビキ、セイシともいう。入江で差し退きする潮。台風の中心から出る海中の振動が岸にきて起す)が起り、シケジオ(一種の気象潮流)が入り込んだため変調流があってそれが特に河口近くでこのときに澪筋に強く現われたのが大きな原因ではないか? とする説。

噴流説・・・秒速50〜60cmの夏季にこの水域で頻発する噴流の接岸が事件の原因であるとする説。

蹴波説・・・現場から約14浬の地点を北進する1万t級の貨物船(パトロクラス号:10108t)と 4千t級の貨物船(那智丸:4655t)が起こした波が海岸に到達した とする説。

 また、この事件は、教師の注意義務とその範囲が裁判で争われ、日教組対反対勢力という政治的意味合いをもつものでもあったのだという。

  だが こういった説が 上げられる中・・・

翌年、1956年7月29日付の伊勢新聞が 「…当時おぼれて助かった女生徒の一人はそのとき海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来たといっている」 ・・・ という報道をしたのだった。

 その他、それ以前の話になるが  『週刊読売』 には、市会議員の談話として

(事件から)  十年前の七月二十八日、米空軍の落す焼夷弾を避けて海へ漬かった避難民百名ほどが、場所も全く同じ中河原のミオで溺死していて

その時も例の“タイナミ”(安濃川の河口の水と南北へ流れる上げ潮がぶつかって起る波)が起って、アッという間に百余名の命をのんだというが、いまもそのあたりの砂浜には、当時の避難民の遺骨が埋められている…  と報じているらしい。       

            10年前の同じ日、同じ場所・・・  この事は、果たして偶然なのだろうか???????

            

  「頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいた何十人という女がこちらに向って泳いできて、夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした」

 「しだいにうすれていく意識の中でも、私は自分の足にまとわりつてはなれない防空頭巾をかぶった女の白い無表情な顔を、はっきりと見つづけていました」・・・・   との事

  あと、1951年7月29日に小学3年生の男子児童(10歳)が水死したという事件については、その日の 11時ころ浅い所でボール投げをしていたが、受け損なったボールを取ろうと少し沖へ出、ボールに手がふれた時、「ふいに波に沈んでもがき始め」、親戚や近所の人が救助し「イキをふき返しそうな状態だった」というが、家へ帰った時は死亡していたというものである。

 この事件を僕がはじめて知ったのは、あの つのだじろう の名作、『恐怖新聞』 を読んだときで、その時から 気になっていて、いつか、調べてみたいと思っていたので、今日、その話題を取上げてみました。

   みなさん どうでしょうか?       少しは 涼しくなれましたでしょうか?

2020.02.24 Monday

スポンサーサイト


20:48 | - | - | - | pookmark |

コメント

コメントする









この記事のトラックバックURL

トラックバック機能は終了しました。

トラックバック

▲top