緑道

札幌の元花屋さんのブログ いろんな事 書いてます。

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2019.03.11 Monday

災難が起これば 誰彼 構わず援けあう国、日本

 地震、火山、台風、大雨、火事、土砂崩れ・・そして 津波  日本は災害大国である

そうした中、古くから 人々は 悲しみを分かち合い、有事には、身を挺してお互いに助け合う 気質が培われてきたのだろう

 1985年 イラク が、3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は民間機といえども撃ち落とす といった声明を上げ

日本人を脱出させる 飛行機を出せない という 日本政府 の姿がそこにあった

そのため イラクにいた 215名の 日本人が 脱出不可能となってしまう。

ところが この時、驚いたことに トルコ航空が、日本人のために 撃墜される危険覚悟で 虎の子の旅客機をチャーター してくれて

  そんな死にに行くようなフライトを 引き受けてくれるパイロットや客室乗務員が いるのか? と思いきや

 これもまた、見ず知らずの日本人のために 命を懸けてくれるというトルコ人パイロット、乗務員も現れ

  215人 全員が 見事 脱出に成功した。

 トルコ政府、トルコ国民全員が 日本人を助けてくれたワケだが・・・ 何故だろうか???

 何故、彼らは、そんなにまで 命懸けのリスクを背負って、日本人を助けてくれたのだろう?

  そこには、日本では あまり知られていない ある理由(ワケ)があったのだ!   この時をさかのぼる事 約100年程前

明治23年(1890年)9月16日、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県で台風のため座礁し機関が爆発、約500名の乗組員が死亡した事件があった。

その時、日本人は生存者を なりふり構わず 治療、看護し、イスタンブールまで送り届けたという

トルコでは教科書にも載っている話で誰もが知っている歴史的事件があった

 自然被害が多い日本では、災害が起きた時、誰彼関係なしに、困っているものがいたら助けよう! という気風があったのだ

異国人であろうと、精一杯助け、貧しいながらも、お金を集め 出来る限りのことをしたのだ

 今度は、私たちが 日本人を助ける番だ!  

 偽りの無い 真心     それが、国や人種 を超えて 伝えられた出来事だったのだ

        

 災害は、今後も起こる     それを のり越えるのは、人と人との 思いやりと 真心の力だ

  私たち日本人は、今後も それを 忘れてはならない

 そう思い起こされる、3.11 だったのではないだろうか?

        


2019.03.11 Monday

3.11 何だろう? この悲しい気持ち

 胸が詰まる様な 悲しい気持ち

  あの日 どれだけ多くの人々が 命を失ったのだろう?

  あの日 どれだけの ご家族が家を失い・・   職を失い、生活を奪われたのだろう?

 もう二度と 故郷に戻れなくなった人々

  国からいただいた お金を狙われて 転校先で さらにイジメられた 子供達

 昨日まで 当り前に 近くにいた人々が 皆 離れ離れになり

  今も 行方の分からない人々も 大勢いて

とにかく 今日は、ただただ・・  祈りたい気持ちだ

  少しでも 痛みを分かち合えれば と思うのだが

  「絆」   

 この国は、いつまでも この言葉を大切にしたい

        


2019.03.11 Monday

聞くところによると65歳 が くぎり! それまで勝ち組を目指す!(笑) 

 ・・・なんだけど、離陸には まだ 少し時間をかける

   身辺の整理、身体の治療、しっかりとした計画、不動産の処理、正しい目的意識を持った仲間を造り スクラムを組んで助け合う

 そうして、きちんとした 自分への意義をもって 仕事したい

   落ち着いて  じっくりと 行こう

 この話は、一筋縄でいかないから・・  ゆっくりと 話して行こう

  まだまだ 働いて  色んなことをやれる

   健康だったらね・・・ ←(これが問題)

        


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