災難が起これば 誰彼 構わず援けあう国、日本
地震、火山、台風、大雨、火事、土砂崩れ・・そして 津波 日本は災害大国である
そうした中、古くから 人々は 悲しみを分かち合い、有事には、身を挺してお互いに助け合う 気質が培われてきたのだろう
1985年 イラク が、3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は民間機といえども撃ち落とす といった声明を上げ
日本人を脱出させる 飛行機を出せない という 日本政府 の姿がそこにあった
そのため イラクにいた 215名の 日本人が 脱出不可能となってしまう。
ところが この時、驚いたことに トルコ航空が、日本人のために 撃墜される危険覚悟で 虎の子の旅客機をチャーター してくれて
そんな死にに行くようなフライトを 引き受けてくれるパイロットや客室乗務員が いるのか? と思いきや
これもまた、見ず知らずの日本人のために 命を懸けてくれるというトルコ人パイロット、乗務員も現れ
215人 全員が 見事 脱出に成功した。
トルコ政府、トルコ国民全員が 日本人を助けてくれたワケだが・・・ 何故だろうか???
何故、彼らは、そんなにまで 命懸けのリスクを背負って、日本人を助けてくれたのだろう?
そこには、日本では あまり知られていない ある理由(ワケ)があったのだ! この時をさかのぼる事 約100年程前
明治23年(1890年)9月16日、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県で台風のため座礁し機関が爆発、約500名の乗組員が死亡した事件があった。
その時、日本人は生存者を なりふり構わず 治療、看護し、イスタンブールまで送り届けたという
トルコでは教科書にも載っている話で誰もが知っている歴史的事件があった
自然被害が多い日本では、災害が起きた時、誰彼関係なしに、困っているものがいたら助けよう! という気風があったのだ
異国人であろうと、精一杯助け、貧しいながらも、お金を集め 出来る限りのことをしたのだ
今度は、私たちが 日本人を助ける番だ!
偽りの無い 真心 それが、国や人種 を超えて 伝えられた出来事だったのだ
災害は、今後も起こる それを のり越えるのは、人と人との 思いやりと 真心の力だ
私たち日本人は、今後も それを 忘れてはならない
そう思い起こされる、3.11 だったのではないだろうか?